社団法人日本演劇興行協会
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榎本滋民さんのこと
松竹株式会社 会長 永山武臣

 榎本滋民さんが突然亡くなられたと伺った時の驚きは、とても言葉で申し上げられるものではありませんでした。今でも信じられない思いがしています。
 昨年、5月の歌舞伎座の初日に、榎本さんと監事室でゆっくり話をしましたが、ご一緒したのはそのときが最後でした。宇野信夫さんの「半七捕物帳 春の雪解」の演出をお願いしたのですが、じつに細かい工夫をなさっていました。台本の補綴から舞台面の工夫まで、それは余人をもって替えがたい豊かな知識に裏付けられたものでした。私は、あるいは少し凝り過ぎたようにも思いましたが、江戸の風情を頑固なまでに大切にしていた滋民さんらしい仕事でした。
 まだ二十代の若さで芸術祭の審査員を勤められたことが示しているように、榎本さんは驚くほど江戸の文学や園芸に精通しておられました。今では伝説になっていますが、榎本さんの雑誌への投稿を読んだ川口松太郎さんの誘いで、演劇の世界に入られたのでした。川口さんから、たしか三度「会いたい」という電報が届いたのですが、初めの二つは誰かのいたずらかと思って相手にせず、やっと三度目で本物だと気づいて川口さんにお会いになったと聞いています。
 早熟で才能にあふれた榎本さんは、花柳章太郎さんに「花の吉原百人斬り」や「松影屋しづく」を書いて劇作家としての地位を確立されました。以来、「ああ、同期の桜」や、私がプロデューサーとして昭和41年に、明治百年を記念して企画し、野口達二さん、小幡欣治さんと競作して書いてもらった明治維新三部作の「暁天の星」など、その活躍ぶりは枚挙に暇がありませんでした。私は、新国劇で上演された「上意討ち」を歌舞伎にしたいと思い、昭和53年の2月に二代目松緑さんらで歌舞伎座で実現しましたが、大評判になり同じ年の秋に名古屋の御園座で再演されました。その「上意討ち」を、榎本さんは数年前、こんどは義太夫の入る古典歌舞伎に改作し、 團十郎さんで上演され、昨年の秋には演舞場の本興行でも上演されました。改作初演の折、平成の新作歌舞伎として大谷竹次郎賞を受けられましたが、「まだまだ歌舞伎で書きたいものがあるのですよ」と、おおいに意欲を語っていたことが忘れられません。
 そうしたご自身の劇作の仕事に加えて、榎本さんは長い間、後輩のスタッフを育てることに情熱を傾けてこられました。仕事には厳しい方でしたが、いっぽうで若い人を可愛がる暖かい人柄が、しばしば垣間見えました。日本演劇協会や日本演劇興行協会の要職を勤めながら、劇作塾を開いて熱心に生徒たちを指導され、各劇場の舞台稽古にも積極的に連れて歩かれました。ことに近年は、その事に一生懸命だったようにお見受けしました。「一人でも多く、新作の書ける人を育てたい」という榎本さんの思いには、熱くそして重いものがあります。まだまだ、なさるべき仕事がたくさんあった榎本さんと、突然の別れを余儀なくされたことは痛恨の極みですが、私たちは、榎本さんの才能と情熱をいつまでも忘れることはありません。演劇に携わる者として、この後も滋民さんの志を継いで良き舞台を造ってゆきたいと念じています。

榎本先生を悼む
情熱の指導
榎本滋民先生の「実践戯曲講座」
事務局長 市川錦次郎

  当協会と榎本先生との出会いは、平成9年、第4回脚本募集の選考委員をお願いしたことから始まりました。そのとき頂いた講評は、榎本先生らしく、誠に手厳しいものでした。
 「先輩作家の近代劇手法による大衆演劇の名作、力作の数々を味読していないこと、時代劇に最低必要な時代考証の習得、基本語彙の摂取、戯曲の説得力を増すための構成力の鍛錬が決定的に不足していることが、共通の欠陥としてあげられる。腰のすわった情熱的な修業を望んでやまない。」
 それならば協会の事業のひとつ、脚本家養成に是非お力添えをいただきたいと講師就任をお願いいたしましたところ、これまでの経験から「講座はもう足を洗いたいのだ」と初めはなかなかお引き受け頂けませんでしたが、再三のお願いの末、何とかご了承頂き平成11年、第1回実践戯曲講座を開催することができました。受講生は脚本募集の入選者14名が参加し、明治座のご好意で稽古場をお借りして始めました。
 初めの1年間は基礎、国語の文法、時代による用語の違い、武士・町人の言葉の使い分け等多岐にわたり、さらに「戯曲は構成がすべてというくらい重要である」という点も強調されていました。受講生から提出された作品の講評においてもその戯曲によく目を通され、一字一句が大切と懇切丁寧に説明、また作品の文言の誤りを厳しく指摘された時には、一瞬緊張した雰囲気になりますが、その余りに適切な指導に受講生が皆感嘆する様子が印象に残っております。こうして4年間にわたる先生の講座によって、受講生の提出作品も目に見えて向上し、先生も手応えを感じておられるようでした。
 講座における先生の講義は、永年にわたり蓄積した作劇法と該博な知識を惜しみなく伝授され、その貴重な言葉ひとつひとつがそのまま消えてしまうのはあまりに惜しいので、時おり録音する許可をお願いしたのですが、これもなかなかお許しいただけませんでした。事業の成果として残したいのでと、一度だけ録音したテープを「榎本滋民先生講義抄録」として発行することをお願いし、お許しを得て関係者に配布することができましたが、今になれば無理にでもお願いして、すべての講義を記録しておけばと残念に思っております。それでもこの記念すべき一冊が貴重な資料として協会に保存することができましたことは、せめてもの幸いと申せましょう。
 新年度になり、引き続き講座の進行についてお電話をしたところ、「どういう講座内容にするか、考えておくから月末に電話をください」というお返事、お亡くなりになられる3日前の1月14日、これが最後のお言葉になりました。

 
 
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